何処へ・・

  • 2009/04/03(金) 00:01:08

平成21年3月29日午後11時15分

父は他界した

突然の・・本当に突然のことだった

4月4日に退院が決まっていた矢先のことだった

先週の休日には病院の廊下を二人で散歩していた
穏やかな日中で・・

「少しくらい、表を散歩できないの?」

と、言ったくらい・・

「無断で出たら怒られる」

そう言って笑っていた

その日・・携帯のカメラで父の写真を撮った・・

最後の姿だった。


母は取り乱していた・・

その取り乱し方は・・幼い子どもが親からはぐれて迷子になったように

どこをどう歩いたらうちに戻れるのかわからずに途方にくれて・・

ただ・・「お父さん、お父さん」と・・泣き叫ぶことしかできない

そんな風に見えた

迷子になった母を抱きしめ「ここにいるよ、ここにいるから・・」と
ただ、そういい続けるしかなす術のない私・・

自分は無力だと感じる瞬間だった・・

ごめん・・
こんなに怖い思いをさせてしまって・・
ごめん・・

対面した父はまるで眠っているかのように安らかな顔をしていた
母とはまるで正反対の安心しきった顔だった



父は一晩・・葬儀所に仮安置され
翌々日の夜、通夜が行われた

通夜の前に行われる湯灌の儀・・

葬儀社の担当から「湯灌の儀は5年ほど前から、女性の方を中心によく行われるのですが・・どうされますか?」

と、問われ・・

入院後・・満足に入浴できない父のためにお願いした

その様子を見守りながら・・
母がまた泣いた・・

「よかったね〜〜、お父さん、気持ちいいね〜〜・・」

前夜の涙とは違う涙だった・・

葬儀当日の朝・・

母方の親戚と父方の親戚が集まった

母方の親戚の口はやたらとよく動く

あれやこれやと父の思い出話をしてはくれるが・・

なぜだか私にはそのどれもが・・他人事にしか聞こえない・・

小さな頃からよく見知った顔

一人ひとりがどんな人間なのかよく知っているから

余計にそう思う人々

没落した田舎の旧家の血筋で・・その家系を今も誇りに思っているのだ

ほどなくして予想したとおり・・

葬儀のしきたりについてあれこれとまくしたてる

「地域によって、それぞれだから・・こちらの葬儀社の方にお任せしてます」

にこやかにそう返答する
正直・・うんざりする・・
ただ、私にはこの血が濃く流れているのだ・・

私の実父もまた・・この一族の出で・・母とは従兄同士だったのだから

母方の田舎で幼い頃を過ごした私には・・
田舎・・という言葉に対してよい思い出がない

人に対して、精神的一線を置くのも・・ある意味そのせいなのかも・・
大人たちが口汚く争う理由は・・「金」なのだ

にこやかに集うこの面々が、私の前でどんな争いを繰り広げてきたか
幼い目にしっかりと焼きついている


父方の親戚は・・父の弟二人だけの出席だった

父とは実質的な血の繋がりのない私にとって、その弟とも全く親交はない

だが・・父に似てとても穏やかで物静かな人たちだった

父はとても勤勉で、真面目で、穏やかな人だった

少し父に面影が似ている、二人に救われるような思いがした


喪主は母であったが、挨拶は私にと頼まれた

物静かで、多くを語らぬ父を誰よりも尊敬している・・と

ある意味、父の弟お二人に対してのメッセージのように語った

緊張していた、お二人が少し頷いてくれたように見えた


父はその後火葬場へと運ばれた・・

荼毘に付された父を迎えに行き・・

父の遺骨と対面した

母はどうしても行きたくないと言った

田舎では最近こそ火葬が主流となったが、私の幼い頃までは土葬が当たり前だったのだ・・

火葬に対する怖れが、あるのだ

ゆっくりと運び出された遺骨は・・

今まで目にしたどんなものよりも

美しかった


こんな風に思うのは自分がおかしいからなのだろうか?

そう思ったが・・

何の怖れも感じず・・

神聖なまでに白いその遺骨の美しさに感動したのだ


おとうさん

あなたは肉体から解放されたのだ

痛みも苦しみも感じることなく

これほどまでに美しく

死を迎え

死と生の意味を私や息子に伝えてくれた

しっかりと生を全うしてくれたからこそ・・

私はこうして、あなたの骨を小さな壷にこんなにも静かな気持ちで収めることができる

母に渡すその瞬間まで

これほどまで大切に抱きしめたことがあるだろうか?
というくらいに大切に大切に胸に抱えて
母のもとへと運んでいった

「きれいな遺骨だったよ。うちに連れて帰ってあげてちゃんと見てあげてね」

母にそう言ったが・・

母はやはり見るのを嫌がった・・



母は・・父の死を受け止めたがらない

まだ・・迷子のまんまの母・・

葬儀終了後・・お坊様が丁寧にお説教を説いてくださった


母の姿は・・本来、あるべき姿なのだとおっしゃっていた

葬儀は通過儀礼ではないのだと・・


思えば

私は祖父母の葬儀も経験しているというのに
実家が真宗・大谷派の門徒だということをようやくにして、認識したのだ

そもそも・・浄土真宗についてもほとんど知りもしなかった

母が言う「お東さん」の意味すらも理解していなかった

全くの無信仰であった私だが・・

父の死に際する、母の姿を見てやっと・・

信仰というものの意味をほんのわずかながらにして知ることができた

迷子になっている母も

こうして少しずつ・・救われていくのだろう

かつて、ある外国人の知人に

「日本人は神様はありがたいものだと思っている」と言われたことがある

彼女はクリスチャンであったので、仏神に救いだけを求める日本人の姿が不思議でならなかったようなのだ

実際に・・今の日本人で熱心な信仰心を持つ者など、ほとんどと言っていいほどいないのは事実で・・

私もまた、その一人に違いない

だが、真宗の教えでは、母のように悲しみを押し隠すことなく表し、死への恐れを持つことこそが・・本来の人の姿とされる


私のように理屈に救いを求める人間こそが
欺瞞に満ちているということなのだ

当たりすぎている

だからと言って・・今更・・泣き喚くことすらできない

こんな風に・・つらつらと・・

書き連ねる事でしか

自分を保つことができないのは

母よりもずっと私が弱い証拠なのだ

こんな人間が

実は一番、誰かを傷つけてしまうのかもしれない

自分は愚かだと口に出してもやはり

それもただの自己弁護にしかならないのだろうか?

と・・思うのだ・・

迷子になっているのは実は私

母は「明日、壁を塗り替えてもらうから、たんすや荷物を運ぶの手伝って。
こんな汚い壁でお寺さんに来てもらわれへんわ。」

と・・現実的なお願いをしてくる

「明日から・・会社に行こうと思うんだけど・・」
「でも、私一人だと無理やもん・・」
「わかった・・やっぱり来週から出るよ。きっとまだ忌引きで通るだろうから」


母は・・もう迷子になっていない


私は・・・